日本語ボランティアレベルアップ研修  記録 3

「災害と外国人住民」 

2009年1月18日


■ 発表者

多文化共生センター大阪代表理事 田村太郎さん

田村さんは阪神大震災、新潟中越地震、新潟中越沖地震という3つの震災でのボランティア活動をされ、その経験から3つの地震を比較検証し、今後の課題や対応についてお話ししてくださった。

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1.阪神大震災と外国人

  1. 阪神大震災では、揺れが増幅した震度7地帯に居住者が多く、その地域の建物の多くが古い木造の文化住宅だったので被害が非常に大きくなった。このような文化住宅は外国人が借りやすいため、外国人被害者が多く出た。
  2. 1月19日、外国人情報センターが開所し、1週間で200人のボランティアが集まった。そのボラン ティアの半数以上が各国語のネイティブだった。被災直後は、必要な語彙は限られているが、時間が たつにつれ、いろいろな事情が発生し、使用語彙が多岐にわたるようになった。震災後1~2週間か ら補償金、罹災証明書、給与関係、失業給付、解約手続き、仮設住宅申込、入管提出書類等の申請が 必要になった。
  3. 避難所は情報センターである。巡回して情報が効率的に伝わるように、よく見えるところに、多言語シート を貼った。自分の言語で書かれていれば、自分が受け入れられていることが分かる。日本語には振り仮名をうった。ただ巡回しているだけでは分らないことも分 かるので避難所に一泊した。
  4. ニュースレターを発行した。
  5. 基本的人権の観点から 多言語ホットライン/医療保健プロジェクト が実施された。 震災後の1月中は、健康保険のある無しに関係なく、ほとんど無料で受信できた。2月以降は健康保険法特別処置により、健康保険加入者は保険料を免除されたが、それ以外は自己負担になった。

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2.阪神大震災と新潟中越地震

  1. 被災時の状況
    阪神大震災当時、外国人人口は8万人で、うち約2万人が日日本語話者。新潟中越地震では、外国人人口5千人 のほとんどが非日本語話者だった。
  2. 被災者の把握
    阪神大震災では、役所、国際交流協会も被災したた め、避難所の把握すら困難だった。新潟中越地震では、中国人留学生や食品加工に従事するブラジル人労働者など、2,500人の外国人登録があった長岡市内 で、3日目に避難所巡回を開始し、外国人避難者の実態を把握した。最大で400人の避難者を確認 した。
  3. 避難生活
    阪神大震災では、最大で約30万人が避難し、避難所は半年以上存続したのに対し、新潟中越地震では、最大で10万人が避難したが、家屋倒壊が少なく、1週間程度で帰宅したケースが多かった。
  4. 情報伝達
    阪神大震災では、コミュニティ単位の口コミ、チラシ、ラジオが中心だったが、新潟中越地震では、友人間の携帯電話、口コミ、インターネット(PC/携帯)、ラジオなど効果的な手段が有効に使われた。

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3.新潟中越沖地震(07年)と外国人

  1. 柏崎市内の外国人登録は、860人だったが、震災翌日に11カ所で、106人の外国人避難者が確認され、「多言語支援センター」を設置した。
  2. 長岡市国際課と同市国際交流センターの支援活動は、次の通りである。
    18:00~21:00:避難所巡回 (3~4名でチームになり、外国人避難者の有無やニーズを聞き取る。)
    10:00: ミーティング (巡回した情報を共有し、必要な情報を編集、翻訳原稿を作成する。 )
    13:00: 翻訳依頼
    15:00: ボランティアオリエンテーション
    16:00: チラシ原稿印刷、配布準備

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4.中越地震規模災害に対する1~2wのボランティア活動のルール化

阪神大震災は規模が大きく、災害時対応のボランティア活動のルール化ができなかったが、新潟中越地震を経験して災害時対応の相対化ができた。

  1. 発生後3日間は、情報が届かないので、周辺地域からのサポートが必要である。避難所には救援物資や情報が届き、1日3回食事が出るが、満室で入れないことが多い。避難所でないところを避難所にしてもらい、サポートが受けられるようにする。
  2. 新たにできる避難所は早く巡回を始め、困らない状態を作ることが必要だ。指定外避難所(40%)には外国人が多い。異文化摩擦など避難者の状況を把握する。
  3. 「何が起こっているのかがわからない」と不安になる。余震・津波等の情報を早く提供する。
  4. 巡回時は、次のような点に留意する。
  • 巡回するのは、午後6時以降
  • 背中に自分が対応できる言語を表示する
  • 避難所担当者に会う
  • 翌日も来ることを告げる
  • ニーズは予測して提供する
  • 避難所で収集した必要な情報を持ち帰り、翻訳して必要な避難所に配布する
  • 避難所には日本語(無料)しかないので、外国語新聞を持参する

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5.今後の課題

  1. 発生前の防災教育は、パニックを防止するうえで必要であるが、最重要項目のみにし、事前情報の詰込を避け、具体的で実践的な訓練を実施する。
  2. 災害発生後は、危険情報と対応情報という2種類の「情報」をセットで伝達する。
  3. 避難生活以降の活動が重要である。
  4. 災害時の活動計画を具体的に立てておく。

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6.外国人被災者への留意点

  1. 外国人は、地域の避難所以外に避難するケースが多い ので、通訳者と地域事情に詳しい者に同行してもらう。
  2. 避難所には、多言語シートを貼り、国籍等を問わず誰でも利用できることを、外国人にも日本人にも認識させる。
  3. 各種申請書には、難解な語彙が多く言葉の壁が大きくなるので、長期の日本語支援が必要である(関連死、帰国後死亡は認められない)。
  4. 避難所では、救援物資、食事などに対する異文化への配慮が必要である。日本人避難者や避難所運営者との異文化間摩擦が起こりやすい。普段から多文化共生センター等で、日本人と外国人の交流を図り、コミュニケーションを円滑にするなどのコミュニティ作りをしておく。
  5. 避難所外被災者は外国人が多い。支援対象から外れないようにする。
  6. 外国人の有無にかかわらず、多言語情報を配信することが重要である。広域点在型に対応するには、FM、インターネットなどが有効である。
  7. 集住地区では、自主防災コミュニティを構築し、日本人避難者と協働する。
  8. 避難所の名簿は、被害者が記入し、市役所職員や周辺住民が管理するが、外国人の名前がないことがある。( 管理者は外国人のことだけよくすることはできないという。)
  9. 余震がなく住環境のよい災害地を離れた近隣に避難所を作るのは、いいようだが、被害者は自分の住宅の近くにいたいものである。元の生活地域で復興するべきで、混住が最良である。
  10. 外国人用避難所は不要である。異文化摩擦を乗り越えて多文化共生社会の構築につながる。
  11. 日本語教室は、地域住民との接点になる場。教え合う教室でありたい。日本語習得が地域の変革につながる。
  12. よすぎる生活マニュアルは、不要である。地域にコミュニケーションを起こすような多言語情報、日本語教室が理想である。例えば、燃えないゴミの日のハンドアウトより、「燃えないゴミはいつですか」という表現を教えれば、地域の日本人とのコミュニケーションの一歩になる。
  13. 多文化子どもプロジェクトとしてパソコン教室を開き、少数者のエンパワメントを図る。